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花路小三郎の 「 ○○○○○特急 」 快調に走ってまっせ。

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異国の風に吹かれて 君を探したよ
やっと見つけたウィーンの 小さなホテル

フロントで訊けば がっかりなお話さ
十日も前に君は ギターをしよって旅立った

○○○○○特急 白夜列車に乗って 
ボへミヤ飛んで今ごろは プラハにいるだろう

○○○○○特急 白夜列車に乗って
君の後を追いかける プラハの街へ


次いで、二番、三番と続くのだが、さて、物語はどうなるのか?
プラハでの出来事は?
そしてどのようにアウへーベンするのか?
それは聴いてのお楽しみに。

「○○○○○特急」
と、隠しているが、この部分は命なので、まだ明かせず、これも聴いてのお楽しみに。


歌詞の組み立ては、短い物語というか、映像、具象絵、ともかく、リアルに、
「さもありなん」
という出来事を、その活動を、できるだけ、
「横断的、学際的」
に、描いている。
いや、描こうとしているが、
「 出来事の所産としての感情」
を描くことは、それも短く描く事は、いつもながら難しい。

要は、外部に立つこと、なのだが…。

肝心は、
「伝達のコード」
を踏まえながら、
「恣意コード」
や、
「世間コード、理性コード、真理コード、客観コード」
及び、
「悟性や感性」
に溺れず、いや、隠し、いやいや、それらを無化して、いかに、自分の意識にとって、
「明証的」
なものから始めるのか、そうした息吹と、
「欲動」
「ザラツキ」
を浮かび上がらせ、いかに、
「対自性」
へと、行為を、姿勢を貫くことができるのか、逃走できるのか、そこにかかっている、のかな。

世間では、観念を相手にしてその観念に止まるような、自慰的な発展性のない、カルトのような、
「観念歌詞」
があふれている。
まるで、
「統合失調」
のようですな。
大衆歌謡だからと言って、怯むことはない。

そうしたカルトの頼りなさを補完するように、世間では、
「ありきたりな物真似」
や、
「ロボット的ありきたりな自由」
「ロボット的ありきたりな多様性」
を、
「ミメーシス」
や、
「自由・多様性」
「コミュニケーション」
と、吐きちがえて、意図的であるのかどうかは知らないが、誤魔化そうとしている。
相互承認の伝達だからといって、既存性に溺れることはないのだ。

そんな、お粗末な形而上では、何を言っているのか、さっぱりわからない、そんな歌詞があふれている。
いったい、そんな状態を、連中はどのように味わうのだろうか ?
知りたいところだ。
「資本的自由・資本的多様性・資本的情報交換」
は、まさに、カルトと同意語である。

笑い話だが、抽象語ばかりを並べた歌詞は、コンサートで唄う際、覚えにくいだろう、ね。
そのためかどうか、耳穴へ詰め込むあのイヤホン、演奏音を低めに聴くためと言ってはいるが、それだけではなくて、実は、歌詞が流れ聴こえてくる、便利な機能装置。  (コードレスで、一万ほどかかる。)

けど、統合失調の様なこの姿勢、ユーモアを描くことに向いている、かもね。
ならば、俺ちも、…二つ三つ組み立ててもいいかな、と思う。
思うだけで終わるかもしれない、けど。


Photo_3


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