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① さすらいの偽ピアニスト、花路小三郎、ワルシャワのショパンの前で

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ワルシャワの新世界通り。
何とかという教会の中。
あたりはうす暗く、人々の姿はあちこちに見受けられるが、誰もが間隔をあけており、囁き声もなく、静かだ。
小三郎、スニーカーの靴音さえ、はばかった。

ショパンの石の柱は、すぐに見つけることができる。
彼の心臓が埋葬されているというその柱には、長いリボンのような、黄色や赤、白の布切れで飾り立てられ、そこだけが妙に目立っている。
ここですよ、と言うように。

小三郎、その柱の前の長椅子に腰をかけた。
かたい木椅子だけど、心地が良い。
お尻のあたりに快感が走り、そのまま寝そべりたい気分。
歩き疲れた体を休めるために、料金がかからないのは何よりだ。

花路小三郎は疲れていた。
チェコのブルノで音楽祭を過ごし、高速バスでプラハへ入り一週間後、軌道電車でワルシャワへ入ってからもう十日がたっている。
もう、何もしたくない、眠りたいだけ、観光などめっそうもない、どうでもいい心境だった。

誰かに話しかけられた。
どこかで小声がしたかと思うと、いきなり英語で、
「もしもし、こんにちわ」
と耳元でと囁かれて、小三郎、少しは驚いた。

そのとき、小三郎の疲労感は、もうどこかえ消えていた。
誰かと喋るチャンスだ、と微かに期待したのかもしれない。
意識はひとつに集中する。
日本を離れてから、もうふた月、その間、小三郎、誰とも喋っていない。
泊まり歩いた安宿のフロントは皆、愛想などなかったし、これといった人に出会うこともなかった。
けど、それも心地よく、さびしいなどとは、むろん、思ったりしない。

ここで言っとくけど、旅という際立つ意識の連続のなかに、つまり、他対象の大いなる変在に投じるわが身体にあっては、淋しさなどという物体は、実感などできるわけがない。

苦笑しながら視線を向けると、年配のご婦人で、彼女は小三郎をうかがう様に見てから、にっこりと笑い、なにか言った。
小三郎、戸惑う。
ポーランド人かチェコ人か、ドイツではあるまい、その可愛い婦人は、キュリー夫人の肖像画によく似ている。
用心しなければならない、そんな人ではないようだ。

婦人は微笑んで意外な質問をした。
「あなたはピアニストですか ?」
ぼくはとっさに、
「いいえ、違います。 けど、どうしてですか ?」
と、反応。
婦人は声をひそめて、
「もしもあなたがピアニストなら」
と前置きをしてから、「今夜、私の家でパ―ティーがあります。予定していたピアニストがこれなくなり、他のピアニストを探しているのです」

花路は笑った。
本当の話だろうか ?
そうした直感(認識)の疑問が、そして彼女のゆっくりした英語の喋りが、ある虚脱から引き出してくれたようだ。
「僕は旅行者ですよ、いや、たとえここが日本だとしても、あなたに紹介できるピアニストを知らない」
いささか堅苦しい翻訳口調だったが、そう説明した。
婦人は何度も頷いて、
「私の直感では、あなたはピアニストだと思いました」
「どうしてですか ?」
直感の訳を訊くのも妙な話、直感は主体に任せるべき認識であり、実感に至る方便であり、堂々たる認識であるからだ
けど、その時は、そう訊いていた。

「ショパンの前で、あなたは泣いていたから」
小三郎、内心、笑った。
泣くわけがない。
実際、泣いてなどいない。
教会の中は静かで薄暗い。
婦人には、小三郎が泣いているように感じられたのだろう。
それにしても、ピアニストはショパンの心臓の前で、泣くのだろうか ?

同じ新世界通りに、小さなケーキ屋がある。
チャーチルがこの店のケーキを好み、戦時中でも英国に取り寄せたという、少々嘘臭い逸話のあるケーキを、小三郎は食べすぎたのだ。
日本円としては安かったからでもあるが。

そして、教会の中の薄暗い木の長椅子にすわり、休憩していた。
実は眠っていた。
うなだれて。
鼾をかいていたのかも知れない。
婦人はそれを泣き声だと思って…。
いつまでたっても、うだつが上がらない、失意のピアニスト、そう思ったのかも知れない。



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