« ♪ 花の散歩道 - 花路小三郎 | トップページ | ● 花路小三郎は、「 感情は意識である 」 と言って笑った。 »

♪ 「 新しいって、なに ? 」 "作詞の構造" 花路小三郎

笑ってください。


≪ 作詞の構造 ≫

「 対自とは、他者になる ( 変身する ) ことである 」
観点は身体であり、信義などの観念 (不当な前提) からではなくて、世界という領土でのコーラ ( 営み )、自己と他者、事物たちの活動と共に在る、その保持。
言うならば、
「 世界 - 内 - 存在 」
は、自己は自己について、意識のありようとして、何ものかについての志向-選ぶ。
脱自としての意識であるがゆえに、本来の自己性ではないなにか、つまり、自己を他者性として、分離することのできない志向-選ぶ-脱自( 離脱 )の行為、保持である。

「 新しい 」
って、既存性ではない無知性・未知性との遭遇 ( 驚き )。
こうした遭遇は、自己の有限性のなかに在ることは言うまでもない。
意識のありように従って、観点がとらえることが不可能な、交通性のない、現前性の無い、 「 世界の埒外 」 についての了解から、その既存としての自己や他者、事物が無いゆえに探求、発見すべき、造りゆく新しい世界内の新しく選ぶべき自己、他者、事物です。

" 新しい " は、方向性としての、言うならば他動詞であり、" 意識にとっての、" あらわれ " 。
それまで不明で、無知-未知ゆえに意識しえず、顕示されえない何ものかが、" 事実性として発見 " される、その " 意識対象 " としての " あらわれ " 。
" あらわれ " は、「 わざわざ 」 ではなくて、瞬間的 ( 出来事として ) に現われる。

比喩としての他動詞は、私という自己性における対象の目的と、私と他者との関係を目的とする志向性、つまり、" 意識のありよう " であり、すべての意味は、状況内における人間の意識 ( 自由・選択・企て ) の脱自的能力が前提であり、その世界に存在し、それ以外の他の諸規定は観念としの否定である。
その関係性にこそ、秩序が発生する。

ここからカントを使えば、
「 判断 」
は、理性( 実践 )についての、他動詞的な悟性の統一的機能、カテゴリーであり、理性があって初めて判断が働き、理性の光に照らされて初めて、判断の効力が生まれ、照り返す。

判断の場が、ドルーズの領土、もしくは内在平面、内在としてのデリダの営み( コーラ )、かな?
いずれも、正義への他動詞です。

「 正義や真理、自由、責任って、なに ? 」
答えは、探さなくてもすでに在り、諸君一人ひとりが、頭の中で、これが正義・真理・自由・責任だと思う観念と、事実性として、また対象としてのそれらです。
正義や真理は観念だから、自己の内にあってこそ自己としての観点的に規定される営み-活動であり、他者におけるそれらは、観念的な否定であるけれども、他者は人間存在として自己の存立の条件であるがゆえに、正義・真理・自由・責任たちを他者に向けて主張するべきものではなくて、自己の内外に顕示するに留まるものである。

自己はまた他者であるから、自己のこの半透明性は、頭の中だけのお話にすぎない真理-正義-自由-責任たちは、行動( 顕示 )にあってこそ、他者としての正義者や真理者、自由者、責任者になりえる。

ここで、花路小三郎は自らの命題を言う、
「 対自とは、他者になる( 変身する )ことである 」
sun 難しい事実性ではない、要するに、
「 自己が自己について意識する ( 見る・感じ-考える・行う、保持 ) 」
ことです。
さらに言えば、見る・感じ-考える・行う、保持は、
「 選択における自由、責任、真理、正義たちは、人間の能力であり、自己の活動そのものであり、他外に主張する事は暴力( 観念支配 )と成らざるを得ない 」

ヒーローは、逆行のなかで営み-活動について活動 ( 実存 ) をする。
アポリアとしての難民解放は、花路小三郎自身が過去も今も難民であるように、
「 対自とは、他者になる ( 変身する ) ことである 」

不安だって ?
そうだね、常に埒外に立つ人間は不安に付きまとわれる。
自己存在は自己の支えではあるが、他者性 ( 逆行性 ) もまた自己の生きる条件、支えである。
…、でも、不安はその都度の最初に、光のスピードで、さっと通り過ぎる、早くて速くて、付き合いきれない。 ( 付き合わざるを得ないのは、状況・環境からの恐怖。 )

そのようにいう根拠は、意識のありようとして、意識は何ものかについての意識であるからであり、
「 瞬間 」
としての、
「 あらわれ 」
その事実性からであり、有限性である。
この有限性を少しでも突破する微細が、光として現れれば、歌詞として成功と言える。

自らの意識が何を選別志向しょうとも、この" あらわれ "が照り返し、自らの意識としての目的と成り、つまりは、その目的を志向する意識が、言うならば、事実的な支えである。

花路小三郎は、
「 あらわれは、目的である 」
同時に、命題として、
「 目的は秩序である 」
と言って、微笑む。

« ♪ 花の散歩道 - 花路小三郎 | トップページ | ● 花路小三郎は、「 感情は意識である 」 と言って笑った。 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558768/63732837

この記事へのトラックバック一覧です: ♪ 「 新しいって、なに ? 」 "作詞の構造" 花路小三郎:

« ♪ 花の散歩道 - 花路小三郎 | トップページ | ● 花路小三郎は、「 感情は意識である 」 と言って笑った。 »